Interview with NECROPHILE - Takaaki Okuma Jan 2013

前回インタビューしたMULTIPLEXの大熊氏が結成したNECROHILEがOBLITERATION RECORDSが主催する浅草エクストリームでなんと21年振りにライブ復活を果たした。NECROPHILEの再結成のいきさつや過去の事を聞いてみた。



まず21年振りにライブ復活してどうだったでしょうか? 再結成にいたるまでの経緯を教えてください。

いやぁ、ドキドキしたね。でも、ステージに立つと昔の感覚っていうか、なんともいえないものが蘇ってきて嬉しかったです。

再結成に至るまでっていうことで言うと、僕自身はプライベートの方がやたら忙しくて、バンド関係の動きからはしばらく遠ざかってたんだけど、中高時代からの同級生のケースケ(NECROPHILE結成当時のDs/G, MESSIAH DEATHライブ時のG)、ケンイチ(G, 元HELLCHILDのBa)とはその間にもたまにハードコアパンク系の音楽をやるんでスタジオに入ったりしてたし、タカシ(Ds/G、TRANSGRESSOR~ANATOMIA)とも交流はあったんだよね。みんな同い年で昔から気心知れてるからね。

で、僕は2011年末までアメリカに4年半ほど住んでたんだけど、その終わりごろにタカシを経由してNECROPHILEの音源を集めたCDを出したいという話がDark Descent Recordsから舞い込んできて、ちょうど僕のところにもXtreem MusicからMULTIPLEXのアルバムを再発したいという話も舞い込んできたタイミングで僕も日本に戻ることになったんだよね。
そんなちょっとした個人的なウネリみたいなものがある中で、僕も東京近辺でのデスメタル/グラインドコア関係の交流を少しずつ戻すうちに、、タカシとかと飲みながら「NECROPHILEでちょっとやってみる?」という話が持ち上がった次第。
それで、ケンイチは仕事とかが忙しくてなかなか一緒にバンドができないので、ケースケがドラム、タカシがギターという1990年当時のラインアップで練習し始めたら、Asakusa Extremeの主催者から強引にライブ出演の依頼があったという(笑)。
こういう機会を与えてもらえたのは、本当のところありがたいです。

1曲目からバンドの代表曲というか印象的なメロディの”Night Of The Gloomy Narcist”からスタートしたのが意外というか嬉しいというか。どよめきが起こりましたよね?

あのドヨメキとお客さんたちの笑顔は嬉しかったです。チャルメラみたいなメロディーだよね、あれ(笑)。
ただ、なんだかんだでNECROPHILEというと、この曲の入っている1989年の2ndデモが2000本ぐらい売れて、あのメロディを何かと挙げられることが多いから、せっかくなら一発目にやっちゃおうかということでやってみました。


今回の再結成ライブでは4曲と少ないセットでした。そしてMASSACREのカバー “Symbolic Immortality”でラストというのはやはりバンドのルーツ的にも重要なバンドという事でしょうか?

やっぱりMASSACREやDEATHの存在は、中学生の頃に一番最初に聴いたデスメタルということで大きいよね。
キャッチーでシンプルなリフで押し切りつつ、Kam Leeの野獣のようなボーカルと宇宙戦争みたいなギターソロが鳴り響くMASSACREの音源は、デモやリハーサル、ライブのテープをかき集めて聴きまくってたので、もう身体の中に染みついちゃってるよね。そういうのを神のように崇めて日々を過ごすうちに、スウェディッシュ系のデスメタルとかが自分たちと同時代的なタイミングで出てきて、テープトレードとかをしながら盛り上がってたというのが自分のルーツです。




1991年にアメリカでライブをしていますが、もしかしたらアメリカでライブをした初めての日本のデスメタルじゃないでしょうか?

確かに日本のデスメタルバンドという意味では、アメリカでライブをやったのは初めてなのかも。
当時、NECROPHILEはLAのBaphometというレーベルから7インチEPを出すことになってて、もう一つやっていたMULTIPLEXの方はピッツバーグのPsychoslaughterというレーベルから7インチEPを出すことになってたんだよね。
で、NECROPHILEのEPがリリースされるタイミングでアメリカでライブをやらない?という話が、テープトレード仲間で当時SADISTIC INTENTのボーカルだったEnriqueから舞い込んできたんだよね。
その話をPsychoslaughterレーベルのオーナーに話したら、じゃあピッツバーグでは地元のROTTREVOREとライブをやろうということになり、同じくテープトレード仲間だったDECEASEDのKingは東海岸でのライブの企画をしてくれることになったので、じゃあアメリカに行っちゃおうということになった次第。

そのときのメンツは、タカシ(Ds)とケンイチ(G)と僕(Ba/Vo)で、いまRelapse Japanをやっている早川Jumbo朋尾くんやテープトレード仲間のコモイケくんも一緒に1991年夏にアメリカに飛んだのでした。 




最初に着いたLAでは、クラブCITTAぐらいの大きさのイメージがあるハコでSADISTIC INTENT、SARCASTIC、VEHEMENCE、DETHSHITという対バンでライブをしたんだけど、もうムチャクチャな盛り上がりで、ゴッツイお姉ちゃんが額を割って流血しながらモッシュしてウォーッと手をあげてきたりして楽しかったです。

このライブを挟んで一週間ほどEnriqueの家に居候させてもらったんだけど、もう毎晩がパーティーで日中には他のバンドとスタジオで遊んだり。
飲んだり遊んだりしてたのはNAUSEA、FEAR FACTORY、EXCRUCIATING TERROR、DEMOLITIONと、当時のLAではブイブイ言わせていたバンドの連中ばかりで、いやあ楽しかったです。
家のガレージを改装したスタジオで鳴るマーシャルアンプの音も良くて、アメリカだ~って感じだったね。




それからピッツバーグに飛んだら、出迎えに誰も来てなくて、その日は仕方なく空港そばの宿に無理やり泊まり、一日間違えで迎えに来たPsychoslaughterのオーナーと翌日ようやく会えて、残り一週間はピッツバーグ滞在。

ところが、ROTTREVOREと対バンするはずだったライブがキャンセルになぜかなっちゃって、この一週間はROTTREVOREの連中と飲んだり、一緒にスタジオで遊んだり、ちょうどピッツバーグに来ていたSEPULTURA、NAPALM DEATH、SICK OF IT ALL、SACRED REICHのライブを観たりしました。最高のライブだったな。
そんな一週間を過ぎた後は、ワシントンDCに飛んで、今度はDECEASEDのKingたちの世話になりました。
Kingの家とか他のバンドメンバーの家とかバンドの機材車とかを寝床にしながら、ここでも一週間飲んだりスタジオに入ったりして過ごしました。


その間にニュージャージーまで車で4、5時間かけて出かけて、DECEASED、GOREAPHOBIA、RESURRECTIONとライブをやって、これまたテープトレード仲間だったIMMOLATIONのRossとかINCANTATIONのJohnとかも遊びに来てくれて嬉しかったなぁ。

このライブは、かなり治安の悪そうな住宅街の中にあるクラブでやったんだけど、お客さんの中に白人のスキンヘッズが何人かいて、黄色人種の我々のライブのときに酔って騒ぐんだよね。しかも「パールハーバー!」とかだけじゃなくて、「ヒロシマ~、ナガサキ~!」とかアホみたいに叫んで、恨みがあるのはこっちだっちゅうに(笑)。
そんな叫び声をあげながらビール瓶を投げつけてきて壁のガラスが割れたりするもんだから、他のバンドのメンバーがステージ前をブロックして守ってくれながらの演奏で、なかなかスリリングだったよ。




まぁ、そんなこんなでものすごく音楽もアルコールもとても濃密な時間を過ごせて、最高の旅でした。最後に一晩だけ乗り継ぎ便の都合で再びLAのEnriqueの家に泊まらせてもらって我が家のように寛がせてもらってまた酔っ払ったんだけど、そのときのLAの大きな空が妙に記憶に残ってます。




今後も新しい音源やライヴなど活動は続きますか?

なにしろおっさんだから活動ペースはトロトロだけど、続けていこうとは思ってます。やっぱりこの音楽が一番しっくりくるしね。
ライブは2月3日にまたやるけど、音源も曲をいくつか作れたらまた録りたいね。あくまでもオールドでRAWな感じで行きたいなぁと思ってます。それ以外できないしね。

インタビューありがとうございました! 


1987年結成のNECROPHILE。いままで彼らの音源はディープなアンダーグラウンドメタルマニアの間のみでしか流通していなかったがアメリカのDark Descentが彼らのデモ音源、7インチ、ライブ音源をまとめたディスコグラフィーをリリースした。
日本でもアンダーグラウンドを取り扱うデスメタルショップでは簡単に買えることができるだろう! 

Dark Descent Records http://www.darkdescentrecords.com/