Interview with MULTIPLEX - Takaaki Okuma Dec 2012



1989年結成の国産グラインドコアカルト。
日本国内、東京を中心にHELLCHILD等とライブも精力的に活動。ロウダウンチューニングギターとフレットレスベースによる独特なリフワーク、タイトなブラストビート、グラインドコア以外の他ジャンルからの影響も伺える曲構成。どこを切ってもMULTIPLEXというオリジナリティー溢れるグラインドコアをプレイし国内だけでなく世界的にも評価の高かったバンド。
1992年にはSelfish レコードから1stアルバム、”World”が20年の歳月を経てスペインのXtreem Recordsから”World”が再発。
初期メンバー、ヴォーカリスト 大熊氏に今回の再発や当時の事などを聞いてみました。
まず大熊さんがMULTIPLEXにはいるまでの経緯を教えてください。



もともと僕の中学・高校の先輩だった小久保くんが日本のデスメタルのパイオニアの一人で、その人が一足先に大学に入ったときに同じ大学にいた赤間さん(Ba)、夏目くん(Ds)、そして赤間さんと同じ高校で赤間さんや夏目くんと同じ音楽サークルにいたノボルさん(G)と知り合ったんだよね。
それで小久保くんが彼らにNAPALM DEATHとかの存在を教えて(ちなみにS.O.B.のTottsuanにNAPALM DEATHを教えたのも小久保くん)、そこから赤間さんたちはASPHYXIAという、CARCASSとかに特に影響を受けたグラインドコア・バンドを結成したはず(細かい経緯は違うかも)。
最初の頃は夏目くんがドラム兼ボーカルだったんだけど、僕もたまたま何かのライブで小久保くんから夏目くんを紹介されて、その後にたまたま小久保くんや夏目くんたちと同じ大学に僕も入って、僕がもう一つやっていたNECROPHILEというバンドでのボーカルのこともみんな知ってたから、じゃあASPHYXIAに入らないかい?ってことで加入した次第です。
夏目くんも僕も授業にはほとんど通ってなかったけど、「出会いの場」としては機能したね(笑)。それからすぐにバンド名をMULTIPLEXに変えたんだよね。色んな音楽的要素を取り入れるという方向性がバンド名によって明確に打ち出されたし、このバンドに入って何よりもビビったのは、ちゃんと楽譜を使って作曲してたことだったなぁ。変拍子をガンガンに混ぜ込んでいて、それでいてノリのある曲調が維持されているというのも新鮮でした。
ちなみに、バックグラウンド的に言うと、クラストコアとかも大好きだから、小久保くんや夏目くんとEXTREME NOISE TERRORやUK DOOMのコピー・バンドでライブをやったりもしていました。

今回再発された1stアルバム、”World”以外のボーナスで収録されている曲について、教えてください。

MULTIPLEXとして最初にリリースした音源が1991年のデモテープでした。ズルズルと低音を這い回るようなスタイルで、それを気に入ったアメリカのピッツバーグにあったPsychoslaughterというレーベルからEPが出ることになったんだよね。オーナーは僕のテープトレード仲間で、今もバリバリ活動しているROTTREVOREとかの地元の友だち。僕は91年にNECROPHILEでアメリカに行ったときに1週間ほど居候させてもらって、みんなで飲んだりリハをしたりして遊んだなぁ。
その後は、よく一緒にライブをやるようになった名古屋のGIBBEDの繋がりで、彼らの地元・名古屋のSAMURAI-zineの佐藤くんの企画でメキシコのANARCHUS、CACOFONIA、そしてGIBBEDとMULTIPLEXの4バンドの音源で”Grinding Syndicate”というCDがリリースされました。これはデモと同じようなズルズルの重い音質で個人的にはとても好き。
一方、これと同時期にハードコア系のSelfish Recordsからもオファーを頂いて、GIBBED、SATANIC HELL SLAUGHTER、MULTIPLEXの3バンドでのCD、”Thrashing Deathpower”を出してもらえることになりました。その頃はS.O.B.とも交流が始まっていて、Tottsuanが総合プロデュースをしてくれるとのことで、”Leave Me Alone”以来の大ファンだった自分としてはムチャクチャ嬉しかったし、発売記念で一緒に各地を回ってライブをさせてもらったときも楽しかったなぁ。あのCDは後にイギリス経由で”Deathpower”というタイトルでも再発されたんじゃないかな。


1993年にTOY’S FACTORYから”To the Marrow” Comp CDの収録曲、”The Wing Over This Land”が未収録だったのが残念です。このCompilation CDのいきさつなど知っていたら教えてください。

細かい経緯は忘れたけど、あの頃は、TOTAL GORE-zineを発行していた早川Jumbo朋尾くんの企画でIndrawn Stageというシリーズ・ライブがあって、日本各地のデスメタル、グラインドコア系のバンドがよく集まっていました。高円寺の20000Vで2 Daysでやったときは1街区ををぐるりとお客さんの行列が巻くぐらいの集客でスゴかった記憶があります。
そんな流れの中で、S.O.B.の音源もリリースしていたTOY’S FACTORYがこのあたりのバンドの音源もリリースしようということで、あのオムニバスCDがリリースされたんじゃなかったかな。収録されたのは、曲順に合わせていうとHELLCHILD、ERODED、TRANSGRESSOR、THE EQUINOX、MAGGOTY CORPSE、VOIDD、MULTIPLEX、TERROR FECTOR、SATANIC HELL SLAUGHTER。収録全バンドによる発売記念のオールナイト・ライブがなぜか王子のクラブだったのを覚えてます。あのとき以外、あそこでライブをしたことがないなぁ。なぜあのハコだったんだろう(笑)。
ちなみに、”To the Marrow ~ Japanese Deathnology”というアルバム・タイトルは僕の命名でした。これと同じぐらいの時期にMULTIPLEXは、BMG Victorが出した”R.A.D.”というCDにもHELLCHILD、G.I.S.M.、DOOM、COCOBAT、鉄アレイ、JESUS SAVE、COALTER OF THE DEEPERS、RUINSなんかと一緒に収録されています。
“To the Marrow”に収録されたThe Wing over This Landや”R.A.D.”に収録されたLike a Parhelion(他の音源に収録されたバージョンより、遥かにブラストのスピードが速い)なんかも、できれば今回の再発盤には収録したかったなぁ。



あれから20年たったわけですがいまMULTIPLEXを聞いてどうですか?

リマスターされたことで、全体的なペコペコした音質も少し改善されて、それなりに今でも通じる音かな、と。
みんなそれぞれに凝った曲、音作りをしてて、メンバーだった僕自身が言うのも変かもしれないけど、スゴい人たちだったなと思います。夏目くんの鬼気迫るドラムは今思い出しても凄まじかったし、ギターのノボルさんや岐部くんの作る曲、赤間さんのウネウネ・ベースとかはどれも個性的だったなぁ。一方で、自分のボーカルのことって、あまり今までのインタビューとかで話したことがないけど、音源によって声質が全然違って、個人的にはWorldの頃が一番キレ(?)が良かったと思ってます。
歌詞はほとんど韻を踏んでいて、打楽器的に曲の中でどう響くかということにとても神経を遣っていたんだよね。当時、HELLCHILDのツカサくんが野獣の咆哮のような凄まじいボーカルでライブをしていて、あれこそ最高のボーカルだと今でも尊敬しているけど、僕はもっとリズムとしての言葉のキレみたいなものを重視していたりしたもんです。Forever Casket Lines and Their Amongsのようにわざと造語ばかりの歌詞にしたりした曲もあって、作詞のときの苦労なんかも思い出します。

当時はまだ日本ではいまのようにそれほどデスメタル、グラインドコアの知名度はなかったと思います。
当時はどういったバンドが日本では活動していましたか? またライブやシーンなどはどういった状況だったのでしょうか?

“To the Marrow” リリースをめぐる話のところで答えたことと重なるけど、デスメタルやグラインドコアを標榜してるバンドって、まだまだ当時は数が少なかったよね。さっき触れたバンド以外だと、”Brutalize”時代のROSE ROSE、UNHUMAN SOCIETY DEATH、NECRO-E、SADONDETHとかを思い出すなぁ。
お客さんの数も一部の企画ライブを除けばムチャクチャ少ないこともあって、ツアーの途中で岡山でやったときはお客さんが6人で、打ち上げの後に哀しくサウナの床で寝たりとかね(笑)。でも、その分、バンドやお客さんも熱い思いを共有している感じはありましたね。

最近のバンドもチェックしてたりしますか?

日本のバンドのライブはちょこちょこ観に行ったりしていて、最近ではCOFFINS、BROB、DEADLY SPAWN、SETE STAR SEPTなんかは心に響いてます。昔からのよしみでANATOMIA、CLANDESTINED、BUTCHER ABC、UNHOLY GRAVEとかはまた別の次元(?)で大好きだったり。なんて答えると、やっぱり「最近のバンド」というよりベテラン勢が全般的に多いね。
それから、2011年末まで4年半ほどアメリカで暮らしていたので、地元ニュージャージーのFUNEBRARUMなどは、仕事の合い間の細々としたものながら交流がありました。
メンバーのDarylとかは、一緒にサイド・プロジェクトをやろうと誘ってくれたんだけど、僕の仕事が忙しくて実現できなかったのが心残り。その代わりに、彼らが UNDERGANGと欧州ツアーしたときにリリースしたSplit EPに収録された曲 “Delusions in the Sheltered Womb”は僕が作詞しています。
アメリカにいた頃もデスメタルのライブには行ってたけど、どうしてもOBITUARYとか、ツアーでやってくるGRAVEとかみたいなベテラン勢とかの方がググッときちゃったのは事実かも。


MULTIPLEX以前の活動についてですがメタルアーカイブスでは1986年結成、MESSIAH DEATHの前身となっているCRIMINAL CHRISTですが、このバンドに関してで少し教えていただけないでしょうか。
CRIMINAL CHRIST在籍当時、大熊さんはいくつでしたか? またどういう経緯でバンドがスタートしたのでしょうか?

CRIMINAL CHRISTは1986年に1本だけデモをリリースしてるんだけど、当時僕は中3だったな。後にMESSIAH DEATHを結成する3つ先輩の小久保くんに連れられて目黒鹿鳴館や神楽坂ExplosionにCASBAH、UNITED、JURASSIC JADE、DEMENTIAなんかを観に行き始めたのが中1の終わり頃。
その頃に、僕と同い年なのになぜかDEATHのデモテープを入手していて、後に自身でもCRUCIFIXIONというデスメタル・バンドを結成する久野くんと小久保くんが知り合って、そこから僕らの学校にデスメタルが持ち込まれるという展開。
で、小久保くんを中心にCRIMINAL CHRISTが結成されて、後にMESSIAH DEATHのドラムとなる小久保くんの1コ上の中川さん(Ds)、小久保くんの同級生の森元くん(G)、小久保くん(Vo)、そして僕(Ba)でデモをリリースした次第。デモのジャケットは当時UNITEDのギタリストだったマーチャンこと原さんが描いてくれてます。同じデザインのTシャツもまだ手元にあるよ。
ちなみに、小久保くんとCRUCIFIXIONの久野くんと僕の3人でD.O.F.というイカれたグラインドコアみたいなバンドをやって、デモも1本録ってます。
あと、NECROPHILEのギタリストとして後に加入して一緒にアメリカを回ったり、HELLCHILDでベースを弾いてたケンイチや、今もDUDMAN、HAMMER、CHAOSMONGERSなんかで活動しているアダチなんかは、みんな中高時代の同級生です。デスメタルやハードコアパンクが普通に日常の中にある中高時代だったね。

周りの同級生がみな錚々たるバンドメンバーというのも凄い中高時代でしたねw
それではNECROPHILEについて教えてください。どういった経緯でバンドがスタートしたのでしょうか?
現在、ANATOMIAでも活動している田中さんとの出会いなども憶えていたら教えてください。

CRIMINAL CHRISTはデモ1本で消滅したんだけど、僕は僕でデスメタル・バンドをやりたかったので、同級生のケースケと二人で始めたのがNECROPHILE。ケースケは小久保くんが同時期に始めたMESSIAH DEATHのライブでもギターを弾いてます。
NECROPHILEは僕らが高2のときの88年に最初のデモを出して、その翌年に出した2本目のデモが、1本1ドル+送料だったことも良かったのか2000本ぐらい売れて、僕は並行してテープトレードもガンガンやってたので、当時は学校の休み時間とかもいつもトレード仲間への返事の手紙とかを書いたりしてました。その頃に、当時の世界中のデスメタル連中と知り合えたのは大きかったなぁ。特に北欧系との繋がりは濃くてSwedish Death MetalというオムニバスCDに収録されているバンドの中で80年代に活動していたところとはほぼ全て付き合いがあった感じでした。あとMAYHEMのDeadとかね。ENTOMBEDやUNLEASHEDの1st LPのThanksリストにも入ってるよ。
その頃、ノルウェーのMORBID Magazineというファンジンが好きで、自分で毎号30冊ぐらい個人輸入して、新宿のUK Edisonというレコード屋で委託販売してもらう高校生デスメタル布教師でもありました(笑)。
話が横道にそれたけど、そんなことをしているときに現ANATOMIAのタカシが手紙を送ってきて、テープトレードを始めたのがきっかけじゃないかな。当時、タカシはTRANSGRESSORの前身のGAMBETTAというバンドをやってたのかな。それからタカシはTRANSGRESSORを始めて、僕もメンバーと仲良くなってみんなで伊豆海水浴旅行に行って、革ジャンのまま海に入るヤツがいたりしつつ(笑)、タカシがNECROPHILEも手伝ってくれるようになって、一緒にアメリカまで行ってライブをやったりしたのです。

それでは最後に、MULTIPLEXの復活なんてのはあったりするのでしょうか?

うーん、これは難しいと思うなぁ。個人的には一度は再結成ライブをしたいと思ってるけど、僕自身はバンドの最後まで活動したメンバーじゃないし、中心的メンバーの夏目くんは今は違う方面の音楽をやってるから、なかなか調整が難しいよね。最近、メンバー全員の生存が確認されたのが一歩前進というところかな(笑)。

日本のエクストリームメタルファンに一言。インタビューありがとうございました!

もはや隠居爺さんみたいなものなので大層なことは言えないし、言うつもりもないけど、世界中の同志と繋がって、この荒々しいウネリをこれから何十年も継続させていきたいよね。
Stay Brutal!

MULTIPLEX on Metal Archives - http://www.metal-archives.com/bands/Multiplex/44566
NECROPHILE on Metal Archives - http://www.metal-archives.com/bands/Necrophile/14084