Interview with SIGH - Mirai Kawashima March 2013



メタルシーンでは世界的に知れ渡った日本のブラックメタルバンド、SIGH。
現在の音楽性はブラックメタルというカテゴリーには収まらない独自の世界観を構築。
ファーストアルバムである”Scorn Defeat” 20周年を記念して浅草エクストリームでのライブでは、アルバムリリース当時のスタイルによる貴重なライブとなった。またプロジェクトバンドのCutThroatもこれに合わせて復活ライブを果たした。
SIGHの中心人物でCutThroatのシンガーでもあるMiraiにライブ終了後、当時の事も交えていろいろとインタビューした。

Scorn Defeat 20周年ということで20年前のようにVENOMのカバーをプレイしてどうでしたか?
よければこの日のセットリストを教えてください。

最近はすっかり5人編成のライブに慣れていて、ベースも弾かず、ヴォーカルもスプリットというのが当たり前になっていたので、久々にベースでヴォーカルも一人というのはかなり厳しかったです。しかも火もでしょ。準備も含め、やはり大変でした。だけどやっぱりVenomはいいですね。Venomやるならトリオでないとというのもありますし。

1. Intro (Gundali)
2. Teacher's Pet
3. Taste Defeat
4. The Knell
5. Desolation of My Mind
6. Countess Bathory
7. Weakness Within
8. A Vitory of Dakini
9. Schizo
10. Evil Dead
11. Witching Hour


なぜ当時はVENOMのカバーをメインでライブやられていたのでしょうか?

Sighが初めてライブをやったのが、1990年の5月くらいだったと思うのですが、当時初代ドラマーがいて、現ベースの藤並がギターで、僕がベースヴォーカルでした。
その第1回目からSchizoのカバーを既にやっていて、これはまあよくあるバンド結成当初、オリジナル曲が十分にないのでカバーをやるというパターンでした。その後、石川が加入する際に、彼もVenomが好きだというので、Sighの曲やる以前にVenomを何曲か合わせたんです。なのでいつでもVenomの曲は複数やれる状態にはありました。

最近の事情は良くわかりませんが、当時僕らはとにかくライブハウスの文化が大嫌いで。対バンのロクに知らないような奴らが「君たち、MCはもっとこうしたほうがいいよ。」なんて、頼んでもいないアドバイスしてくれちゃったり。そりゃ僕らだって、Tom G. Warriorからのアドバイスなら有り難く聞きますよ。でもそれ、デモ一本しか出してないような、完全な無名バンドですよ?本当に頭おかしいんじゃないかと思って。
ライブハウスの兄ちゃんが、ライブ後に出演バンド集めてミーティングして悦に入ってたり。思い出すだけでも不愉快です。頼んでもいないアドバイスしてくる奴って例外なく屑ですよ。
それはともかく、対バンは全部きちんと見て「勉強」しなくちゃ、みたいな風潮もとにかく気持ち悪かったし、「完全プロ志向」なんていう言葉も大嫌いで。
そんな中で、「カバー曲やるのはプロフェッショナルじゃない。」みたいな話があったので、それなら逆に俺たちはカバー中心でやってやろうという、非常に下らない動機でした。
今回もやりましたけど、Sighのライブ見に行ったら、いきなり1曲目がTeacher's Petだったみたいのも面白いんじゃないかと思って。

数年前にチェコのフェスでWatainを見たら、1曲目からいきなりBathoryのカバーやってて、同じこと考える奴いるんだなあと思いましたが。
まあ あと、当時3人編成だったのもあり、シンセが大量に入っているオリジナルをライブで再現しづらかったというのも当然あります。それがどんどんエスカレートしていって、酷い時はオリジナル1曲であと全部Venomなんていうこともあったような気がします。Sigh聞きに来たのに、と怒ってるお客さんもいらしたようで。申し訳ないことしました。






1993年だったと思いますが市川 Club GioのデスメタルライブというイベントでSIGHを観ましたがその時、MCで「昨日、ノルウェーから電話があってMAYHEMのEuronymousが殺された。詳しい事はまだわからない」的な発言をされていたのを憶えています。
どういう内容だったか憶えていますでしょうか?

あの企画、93年の8月末でしたね。Euronymousが殺されたのが8月10日、僕がそれを知ったのが、8月20日、EmperorのSamothからの手紙ででした。あまりに衝撃的だったので、日付もはっきり覚えています。
当時はインターネットなんて普及していませんから、Euronymousの死を知ったのは事件から10日後でした。しかもソースはSamothの手紙だけで、ただ殺されたということしか記されておらず、犯人も含め一体何が起こったのか、さっぱりわかりませんでした。
ノルウェーの知り合いなどに電話をかけて、どうやら殺されてしまったことだけは間違いないというようだという状況だったと思います。
当時Mayhemのセカンドギタリストだった奴に電話をかけたら、見知らぬ女性が出て「彼は当分戻らない。」なんて言われて。どうしたのかと思ったら、結局Euronymous殺害の共犯で捕まっていたという。あの頃はまだ色んな説があったんですよ。
スウェーデンのブラックメタルマフィアに殺されたとか、バーで喧嘩した相手の復讐じゃないかとか。Burzum説もあることにはあったんですけど、さすがに仲間内で殺し合いまでするかなあという気持ちもあって。

Scorn Defeatはその殺されたEuronymousのDeathlike Silenceからリリースされましたがリリースまでどういう経緯だったか教えていただけませんか?

Sighは90年にデモを2本出したあと、92年に"Requiem for Fools"という7"EPをアメリカの悪名高いWild Rags Recordsからリリースしました。
バンド始めたときは、7"EPでも出せたらいいなあくらいに思ってたんですが、いざそれが叶うと欲が出てくるもので、今度はフルアルバム出せないかと世界中のアンダーグラウンドレーベルにコンタクトしていました。

しかし当時はデスメタル・グラインドコアが全盛の時代ですから、80年代スラッシュの影響下にあるバンドなんてまったく相手にされない訳ですよ。唯一興味を示してくれたのがEuronymousでした。
そもそもはEuronymousではなくて、MayhemのヴォーカリストだったDeadに"Requiem for Fools"のカセットを送ったんですが、その時すでにDeadは自殺してしまっていて、返事はEuronymousから来ました。
彼らがやっていたレーベル、Deathlike Silence Productionsというのは、当時はMercilessのファーストが1枚出ていた程度で、本当にまともに運営されているのかまったくわからなかったんですが、何しろ他に契約してくれるレーベルもなかったので他にどうしようもなくて。

ただEuronymousというのは非常に面白い人間で、レーベル展開や戦略についても色々斬新なヴィジョンは持っていました。
まだ全然ブラックメタルなんて脚光浴びていない時期ですからね。スコットバーンズやアントン・ラヴェイの写真にバツマークつけみたり、モッシュや白Tシャツを批判したり。どんどんメタルのアルバムがハイエンドになっていっている時期に、音質は悪い方が偉いみたいな滅茶苦茶な概念持ち出したり。お金はないけどアイデアはいくらでも出るみたいな人間でした。
残念ながら、EuronymousはScorn Defeatがリリースされる前にこの世を去ってしまいました。


Scorn Defeatが今年で20周年ですがこのアルバムが出た当時、日本そして世界での反応はどうだったのでしょうか? このアルバムの何か面白いエピソードなどがあれば教えてください。

当時はまだインターネットがなかったですからね。ネガティヴな感想を直接目にする場もあまりなくて。ファンレター書いてくるのは皆好意的な人たちでしたから。
あの頃Disk Unionの御茶ノ水店で働いている友達がいて、御茶ノ水店だけで200枚売れたとか言われて、とても驚いた記憶があります。
まだブラックメタルなんてロクに認知もされていない時代、ましてや日本のバンドですからね、本気で日本では10枚くらいしか売れないだろうって思ってました。

Scorn Defeatは僕らにとって初めてのアルバムでしたから、当然リリースできたのはうれしかったです。でもやはり初版のジャケットなどがどうしても気に入らなくて。
元々は当時Mayhemのセカンドギタリストだった奴が描くはずで、殆ど完成状態までは行ってたはずなのですが、その矢先にEuronymous殺人事件が起こってしまいました。あの頃はまだディジタルじゃなかったですから、結局そのジャケもどこかに行ってしまったようです。
Euronymousの部屋のものはすべて指紋採取用の粉で滅茶苦茶にされてしまったらしく、仮に見つかっても使い物にならないというようなことを言われました。
で、仕方ないので、日本風の地獄のイメージとして、手元にあった水木しげる氏の絵をあくまでニュージャケットの参考用としてレーベルにファックスしたのですが、出来上がってきたものがあのような結果でした。
あれ、もう明らかに僕が送ったファックスをトレースしただけですよ。頭に来て、こんなのリリースしたら訴えられるぞって文句を言ったんですが、これ以上リリースは遅らせられないとか言って聞いてくれない。
人生初のアルバムが、不本意なジャケットになってしまったのは本当に残念でした。実際リリースされてみると、レーベルにもジャケの悪評がかなり届いたらしく、セカンドプレスからは違うものにしようということで話がまとまりました。

それが石川が手を燃やしているバージョンです。あれは血洗いの池という、元々は刑場で、刀の血を洗い落としていたという曰くつきの池で撮影しました。
撮影していたら、「刀を持った不審者がいる」という通報があったらしく、警備員が飛んできてきてしまったのですが、事情を話し、刀も当然本物でないことを示し、理解してもらいました。あの時の警備員のおじいさんの慌てぶりは凄かったです。何しろ本物の日本刀を誰かが振り回してる、なんていう通報だったのでしょうから。申し訳ないことをしました。
あのジャケ、心霊写真だという話もあるのですが、確かにそういう曰くつきの場所で撮ったので、可能性はあるかもしれません。しかし、これは今まで公表したことないのですが、煙が顔に見える部分、シミュラクラではなく、僕が故意にフォトショップでいじった部分もあるのです。

それでやっとセカンドプレスから新ジャケになったわけですが、いざリリースされてみるとファーストプレスのジャケの方が良かったという声もあり、世の中わからないものだと痛感しました。今ではファーストプレスもあれはあれで認知されていますし。
あの頃は結構滅茶苦茶なことありましたよ。本物の血で書かれたファンレターが送られてきたり、まったく面識のない人物からいきなり「川嶋さんはサタニストですよね?」なんて電話がかかってきたり。



CUT THROATもかなり久しぶりのライブですよね? 10年以上ぶりと記憶していますが。

一体前回のライブがいつだったのか、誰も覚えていないんですよ。そもそも何回ライブをやったのかについても、メンバー間で意見が割れていて。
おそらく5回未満、21世紀になってからはライブは今回が初というところでしょう。特にCutThroatも活動休止しようなどと考えていたわけでもなく、気付いたら10数年経ってしまった感じです。
年とってくるとそんなものですよ。10年前がついこの間のことのように思えますからね。

Rape Rape Rape はほとんどカバー曲というアルバムですがなぜカバーばかりをやろうと思ったのですか?

Abigailの鈴木君と、CD屋巡りか何かをしていて、何となくスラッシュのプロジェクトやろうかみたいな話になった記憶があります。
あんまり深い考えもなく、カバーやりますか、みたいなノリだったんじゃないでしょうか。改めて考えてみると酷いです。ただのコピバンですよ、CutThroatなんて名前つけちゃってるけど。さすがにアルバム出すにあたって、全部カバーは酷すぎるだろうということで2曲オリジナル入れたんだったと思います。
Abigail側とSigh側で1曲ずつ持ち寄って。Rape Rape Rapeは元々Sighの曲として書いてあったのですが、あの頃Sighは速い曲をやっておらず、それでCutThroatに提供しました。まあ誰でも知っている曲をカバーするのでもなく、かと言ってただマニアックさを追求するのでもなく、無名でも本当に良い曲をやるというのは良いコンセプトだとは思います。Warfareなどが埋もれてしまうのは本当にもったいないですからね。

今後もCUT THROATは音源リリースやライブ活動はありますか?

どうでしょう、まだ鈴木君とは今後について何も話していないです。あまりライブ乱発しても面白くないですし、MCもそんなにネタがあるわけでもなく。
また何か良い機会があればという感じでしょうか。今回のライブはCDもしくは映像でリリースするかもしれません。

最後に日本のSIGH, CUT THROATファンに 一言! インタビューありがとうございました!

こちらこそどうもありがとうございました。
http://sigh.thebase.in/
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ライブなどの最新情報はTwitterで。
https://twitter.com/sighmirai



All live photo by NATS  2013