ラベル JAPAN の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル JAPAN の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

FINAL EXIT Central Europe Tour 2014 report by Ryohei Kikuchi pt.1

ノイズの若大将、FINAL EXIT
ギター・ヴォーカル Hisao とドラム Ryohei という2人だけのシンプルな編成にもかかわらず出てくるサウンドはノイズとグラインドと笑いが起こる笑撃的なグラインドコアで世界中からカルトな人気を誇る。
2014年は結成20周年という事でOEFアジアにも出演し過去アナログ音源をまとめたディスコグラフィーをリリースするなど活発的に活動。さらに勢いにのり初のヨーロッパツアーを敢行。ツアー最終日にはチェコの OBSCENE EXTREME FESTIVAL に出演。
それではドラムのRyoheiからヨーロッパツアーのリポートをお届けしよう!

Ryohei 
7月11日~12日

FINAL EXIT初ツアー、初海外、はたまた自分は初飛行機!

海外ツアー諸先輩方に、初海外でヨーローパは無謀だなどと激励のお言葉を頂いたりしながら出発の日に。

今回ツアーにあたって、オーガナイザーのCurby/Obsceneから「シンバルは全部持って来い!」という指令があり、荷物は激重に。
メンバー2人しかいないので、分散も出来ず、家から成田まで行くのもかなり大変だった。

前々日からの台風で、欠航が危ぶまれたが7月11日定刻に無事に出発。もし欠航していたらツアー初日(7月12日)の”Play Fast or Don’t Festival”がいきなりキャンセルになってしまうので、それだけは絶対に避けたいと思っていたら台風が予想より早く通過してくれて良かった。

アタテュルク・イスタンブール国際空港
成田からトルコ/イスタンブールでのトランジットを含めチェコ/プラハまで約20時間のロングフライト。トルコ航空の噂は色々と聞いていたので、遅れ等が心配だったが定刻にイスタンブールに到着。

約4時間トランジットで滞在したアタテュルク・イスタンブール国際空港は、アジア/中東/ヨーロッパなどの中間地点にあたる為か色々な人種の人々が行き交い興味深かった。

乗り換え
定刻にヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港に着いた時には、時差ボケだかなんだか良くわからない状態だった。
入国手続きなどを済ませ(パスポート見せるだけで滞在理由とかは一切聞かれなかった。やっぱ噂通りヨーロッパは緩いのか?)荷物を受け取りに行ったが待ってもヒサヲ氏のギターが出て来ない。

探していると、同じ飛行機に乗り合わせたクレー射撃スリランカ代表選手達の銃と間違われ別の場所に。いつもながらの適当な英語で何とか受け取れたけど、ちょっとドキドキだった。

ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港
空港には、”Play Fast Or Don’t Festival”の企画者の1人、Ottoの友人とその息子が迎えに来てくれていたが、ギターの件がありかなり待たせてしまった。

空港からフラデツ・クラーロヴェーにある会場までは、車で1時間半ほどかかるとの事。
プラハ市内を抜け高速を使い会場までドライブ。プラハ市内は、古い趣のある建物と新しい近代的な建物が混在している感じだが、街全体が林の中にあるような感じで緑が多く奇麗なイメージだった。英語がほとんど分からない彼らと談笑しながら会場へ。

息子くん。車内ではほとんどPSPやってた (笑)
プラハ市内。こんな素敵な城も


観光客丸出し(笑)

PLAY FAST OR DON´T FESTIVAL 2014
Czech Republic

Play Fast Or Don’t Festival・ライブ会場

Ottoと。後に息子くんもチラリ(笑)

会場に入ると楽屋に案内され、荷物を下ろすとOttoが来てくれハグ。
自分とはかれこれ20年近くやり取りしており、今回初対面!感激!

会場を案内され一回りする。
ものすごく広い草原の中にシェルターか格納庫的なのがいくつも点在しており。
その中の1つが今回の会場になっていた。(後になって分かった事だが、元は軍の空港だったらしく、ライブ会場は軍用機の格納庫、それを民間に開放しフェスティバルパークとして使っているようだ。)

他の格納庫。ライブ会場内部もこれと同じような感じ


戦車まで!

会場にはそこら中に軍団がウヨウヨ (笑)
フードスタンド(基本的にヴィーガンフード)、ビアスタンド、マーチャンのブースなどが点在。
皆ライブはもちろんの事、談笑しながらビール飲んだり、マーチャンを漁ったりと思い思いに過ごしているようだった。基本車で乗り付けキャンプをしながら楽しんでる人たちが多いようだった。

テントが設置してあり、皆飲んだり・談笑したり



Grind Restautant!!

各レーベル・ディストロも物販ブースを出していた

テントサイト

会場に設置してあった男(小)用のトイレ。何と四方から出来る!画期的!位置は高いです(笑)



自分たちも一息ついてからブースを開く。
まさか、青空の下とは思わなかったが・・・
まだ準備が終わってないうちからお客が沢山来ててんてこ舞い。
アジア人がうちらしかいないせいか注目を集めているようだった。

皆さんご存知、Curby/Obsceneと

しばらくすると今回のツアーのオーガナイザーCurbyや、ツアーメイトのThe Killのメンバー、イタリアから急遽来てくれたBrandy、旧友や最近やりとりしていた出演バンドのメンバーらも来てくれ談笑、お客さんも次々と来て思ってたより全然忙しかった。

Barvak/Insane Society Recordsと。3月のOEF ASIAにも来てました

Brandy/Grindblock Recs.と。こちらも3月に来日。来年も来るそうです。

フランスのGrindバンド、Whorsenationのギター氏と。Whoresnation要チェックです!

Mira氏と。彼は、自分の誕生日にギグを企画して海外バンドを呼んだりしているそう。
今回誘われたが日程が合わず断念。

Mira氏とその友達Michal氏と。この2人とはOEFでも再会することに



ブースが少し落ち着いた所で、今回のもう一つのお目当てチェコビールを!
適当に選んだ店でビールを頼む。しかも生!ウマい!何でも、小さい醸造所のビールだそうで、日本ではお目にかかれない一杯!

ビールを飲みながら以前からやり取りしていた人たちに挨拶がてらブースを訪れるAndy/EveryDayHate、Jacek/GrindFather Prod、Eric/Turbokrieg、Sacha/Chiens 等、色々な人たちと会え、充実した時間を過ごす。

Jacek/Grindfather Prod.と

そんなこんなしているうちに、Turbokriegが始まるので会場内へ。
Ericのセクシーダンスにやられる(笑
そして期待のフレンチグラインダー、Chiens!ライブもかっけぇ!Sachaドラム巧い!

チェコは日本よりも日が長いようで、夜8時・9時でもまだ明るい。
でも気温は日本より低いのか、夜になるとかなり冷えて来た。雨の日用に持って来ておいてたウィンドブレーカーを羽織る。持って来ておいて良かった。

そんなこんなで自分達の出番に。
いつも通りセッティング。始まる前から怒号が飛び交う。始まってみると自分達が予想していたより大盛り上がり!FINAL EXIT史上初となる観客のダイブもあり、うちらもダイブ!アンコールまでやらせてもらって大盛況!




そのときの動画はこちら

片付ける間もなくブースを見てみると何と!長蛇の列が!急いで戻りお客さんを捌く。
皆大絶賛してくれて、本当にやっていて良かったと思った。
一段落付いた所で機材を片付け楽屋に収納。

ここでやっと夕飯。スタンドでヴィーガンバーガーや、ファラフェルを食べる。もちろんビールも!
気づいたらもう0時。外はかなり寒いが、皆帰る様子もなく盛り上がっていた。

全てのバンドが終わり、機材を片付けツアーメイトのThe Killのメンバー、翌日も共演するTurbokriegのメンバーと共にOttoのバンで今日の宿へ。
ホステルと言っていて、簡易宿泊所的な物か。トイレは共同だったが、部屋にシャワーもあり快適だった。

The Killのメンバーと翌朝の朝食の約束をし、就寝。
疲れていた為かすぐに眠りについた。

ツアーレポート Pt.2へ。

Interview with SWARRRM - Kapo September 2014


関西グラインドのパイオニア、兵庫・神戸を拠点にカオティック・サウンドのオリジネイターとして独自の進化を遂げるSWARRRMが、実に7年振りとなるフル・アルバム『FLOWER』をリリースする。
制作に延べ5年もの年月を費やした本作は、グラインドを立脚点としながら普遍的なロックのテイストを大胆に注入。新たな展開を模索した末に完璧な最新フォームを手にした孤高性の高い作品だ。
今回はリーダーのKapoによる貴重なインタビュー!

『FLOWER』はフル・アルバムとしては『Black Bong』以来7年ぶりのリリースになると思います。まずはアルバムを完成させた今の気持ちを聞かせて下さい。

Kapo:後悔のない内容に出来たことを嬉しく思っています。ジャケ、音質共に満足しており、大野氏、原田氏にはとても感謝しています。

アルバム制作を意識した、起点となったのはどのタイミングですか?

Kapo:“幸あれ”という曲が完成した時です。今までの音源とは違う、という明確な変化を提示したかったので、変化の象徴になるような曲が出来るのを待っていました。


FLOWER (CD: DYMC-231) 2,400 yen + tax


これまでのアルバム、あるいは単独作の中で最も統一性がある作品だと感じました。狙い通りでしょうか?

Kapo:自分達でも、グラインドコアでありながら、カオティックHC、激情系HC、ブラックメタル以降のバンドだという認識はあり、その先をやるというはっきりとした意志をもって作りました。
結果は本人には分かりませんが、“幸あれ”“あがれ”の世界観がその意志を象徴しているんじゃないかと思います。最近は普遍的なロックっぽさを取り入れることに新鮮さを感じており、その思いは全編通してあるかもしれません。

ブックレットにあるクレジットによると、2009年から断続的にレコーディングを行われていたようです。曲が出来上がり次第レコーディングをしていったということでしょうか? 一般的な、まずアルバム収録曲を全曲仕上げてから一気にレコーディングするプロセスとは大きく違うと思います。

Kapo:そうです。出来次第録ります。僕らの集中力では一度に3曲くらいが限界です。このやりかたで長年やっているので、まとめて録ることは考えられないです。

制作に5年掛けた最大の理由は何でしょうか?

Kapo:結果的に掛かっただけです。後悔のない内容にするため、自分達が満足するのに掛かった時間です。

実際の作曲、またレコーディングはどのようにして行っているのでしょうか? Tsukasaさんは東京在住で他のメンバーと物理的に離れているので、苦労されることも多いかと思います。

Kapo:常に3曲くらいは同時進行で作っています。今回収録の“まやかし”は確かTsukasa君加入前から作り始めたので5年以上掛かったと思います。距離は問題ではないです。
各自、自分の役割はしっかり果たす、その信頼関係で18年、Tsukasa君が入って7年存続できたと思っています。


聴き取り易いというと語弊がありますが、今回はこれまで以上にTsukasaさんの日本語詞が刺さります。ヴォーカルを曲の中心的存在に据えている印象も持ちました。Tsukasaさんのヴォーカルが入ることでそこから更に曲のアレンジを組み替えることはありますか?

Kapo:歌重視が今回のアルバムの一番の特徴であり、大きな変化になっていると思います。ひとえにTsukasa君の努力と挑戦の結果だと思います。
Tsukasa君がメロディーとキャッチーさを大胆に追加した結果が、良い方に転んだと思います。僕の期待以上の結果を出してくれて感謝しています。今のところTsukasa君からそういうリクエストがないので組み替えたことはないですが、リクエストがあれば答える用意はあります。

SWARRRMといえば様々なアーティストとの膨大な数のスプリット作が思い浮かびます。スプリット作と単独作では制作段階に於ける心構えや方向性は違いますか? 

Kapo:スプリットはやはり多少なりとも勝負を意識します。アルバムは可能性を意識します。

作曲の段階で「これはスプリット用/単独作用」と振り分けが見えてくるものなのでしょうか?

Kapo:タイミングだと思います。

SWARRRMは今もグラインド・バンドと考えていらっしゃいますか?
非メタル・テイストで整合感よりも混沌を突き詰めるかのような方向性は、世界的に見ても孤高性が高いと思います。

Kapo:グラインドコア・バンドだと思っています。ガラパゴス的な成長過程のため、そういう質問を受けがちですが、自分ではグラインドコアやっているつもりです。もちろん正統派とは思っていませんが、正統派のグラインドコア好きの方にも認められるような、新しいスタイルのグラインドコアをやりたいと考えています。

レーベルのプレス・リリースに「グラインドの新たな展開が決定的なかたちとなる」とありました。グラインドの定義とはご自身ではどのようなものと考えていらっしゃいますか?

Kapo:ブラストビートに拘るということです。僕がグラインドコアに惹かれたのはその部分のみです。
僕らが18年間やってきたのはその活用法の模索であったと思います。Chowrowというメンバーなしでは、とても出来なかったことです。324の最初のシングルを聴いた時もSakata君のブラストに痺れたし、DIE YOU BASTARDの辰嶋君のブラストはいつ見ても超かっこいいと思います。彼らとは違う切り口でかっこいいブラストの曲を作りたいですね。

“幸あれ”のコード感溢れる様は、リフ押しが大前提になっている激音シーンでは非常に珍しいアプローチだと思います。この曲ではダイナミズムや抑揚を意識したのでしょうか?

Kapo:意識したと思います。激音シーンの方程式からはずれることは常に意識しているかもしれません。SWARRRMの新しい可能性につながる曲だと思っています。今の時点で最高の出来だと自負していますし、Tsukasa君の底力に驚きました。

全編を通して、特に“漂白の闇” “群れ” “花” からは普遍的なロック・テイストやメランコリックさを感じます。SWARRRMとしてロックというものに新しいものを見い出していますか?

Kapo:普遍的なロック感を取り入れることに進歩の可能性を求めているのは間違いないです。もちろんそこに今まで通りのアンバランスな演奏は導入するのですが。

“あがれ”はPASTA FASTAとのスプリット作にも収録されていましたし、ビデオも制作されていました。改めて収録したのはこの曲の世界観が『FLOWER』の基軸になり得ると考えたからでしょうか?

Kapo:そうです。今作の中で一番、華のある曲だと思います。


作曲した生の状態からポスト・プロダクションで楽曲のイメージが変わることはありますか? あくまで最終型を見据えてレコーディングしているのでしょうか?

Kapo:その時々です。ギターのオーバーダブはほぼ行き当たりばったりでその場でつけることが多く、意外な印象になることも多々あります。歌についてもそういう部分はあります。曲の骨組みは時間を掛けるのに、そのあたりを一発勝負にするところは特徴的かもしれません。

ヘヴィ・ドローン・ユニットのNADJAの初期もそうだったのですが、作品ごとに異なるレーベルから発表するのは意図的なのでしょうか?
作品のカラーによって選び分けているのですか? バンドとレーベルが馴れ合わず常に緊張感を持っていたいからなのかとも想像しました。

Kapo:全てはタイミングと縁です。特別な意図は無いです。

ライヴでの再現性は意識されているのでしょうか? 「作品とライヴはあくまで別物」として考えていらっしゃいますか?

Kapo:何も考えてないです。意識するのはライヴ向き、不向きくらいです。



花をあしらったジャケットが非常に印象的です。どのようなコンセプトで進めたのでしょうか? SOLMANIAの大野さんを起用した理由も教えて下さい。

Kapo:今までも4作品でお世話になっており間違いないからです。
今回も大野君が制作してくれて本当に良かったと思います。

11月に東京と地元神戸で、12月に大阪でリリース・ライヴがあるようです。どんなものになりそうでしょうか? 本作収録楽曲が中心になりそうですか?

Kapo:そうですね。

今後の活動や方向性について教えて下さい。

Kapo:今まで通り、尊敬するバンドとスプリットを出していき、この4人でバンド活動が継続できるよう、自分達が飽きないための曲作りを継続します。

今後のライブ日程

11/16(日)新大久保Earthdom
with BLACK GANION, SLIGHT SLAPPERS, ENSLAVE, BB

11/22(土)神戸108
with kamomekamome, 狂うクルー, ヨダレサゴ

12/20(土)心斎橋火影
with STUBBORN FATHER, SEEK, RED SHEER, kallaqri

SWARRRM Facebook page
https://www.facebook.com/pages/Swarrrm/424645447621824

Interview with MESSIAH DEATH - Jun Kokubo Dec 2013 pt 2


Part 1から続く

NS : 音源について幾つかお訊きします。1stデモのVoはCRUCIFIXIONの久野さんが歌っていますが、小久保さんが歌わなかったのは何故でしょうか?

JK : 実は最初は僕が歌ったヴァージョンでデモを録ったんですが、何となくしっくりこなくて・・・
多分、僕が全部歌ったヴァージョンも出回ってたと思うんですがこの辺りは記憶が曖昧 (笑)。
それと、やはり国産初の純度100% Death Metalの始祖である久野君に、最大限の敬意を表して、と言う意味もありました。今聴き直してみると、初期NECROPHAGIAのKilljoyのスタイルに久野君は影響受けていたんじゃないかな? 実際に、Killjoyと久野君は友人でもあったし。

NS : このデモのみ、ベースレスで録音されているのは何故ですか?

JK : 単純にパーマネントなベーシストが居なかったから (笑)。
一番最初は、ドラムの中川さんと僕と、今も大親友の杉下君 (今回のCDの写真に一番多く写っているヤツです~笑) との3人でMESSIAH DEATHを始めたんだけど、ツインギターを目指すも敢え無く挫折 ・・・ 中川さんと僕の2人になっちゃって、さてどうしようと言う前に「音源を録ろう!」と言う事になってしまったので、自然とベースレスに。

今考えれば、杉下君をベースにするなり、誰かに頼むなり、他にいくらでも方法はあったと思いますが、当時はベースレスのデモと言うのも全然珍しくはなかったので、じゃいいだろ、と言う勢いで。お陰でボトムがスカスカでチープ極まりないポンコツ音源になってしまったのは自業自得?!

NS : この記念すべき1stデモをリリースした時、反応はどうでしたか?

JK : まず、このDemoは本当にPromoとして制作したので、販売は国内外では一切していません。
その当時のアンダーグラウンドである程度の名前が通ったFanzineを中心に送りました。
正確には覚えてませんが、インタヴューの依頼が来たり、レヴューが載ったりと、物珍しさも手伝って予想外にいい反応だったと思います。
ただ、一様に「曲はいいが、音が悪すぎる」「何歌ってるか判んない」と書かれましたね (笑)。 まさにおっしゃる通り (笑)。 お恥ずかしい・・・
どの位の数が出回ったのか・・・それも正確には記憶していません・・・ (笑) ま、当時は勝手にコピーのコピーで、なんて感じで世界中に回っちゃったんでしょうが (笑)。


NS : 2ndデモ “Immortal Kingdom”では、前作に比べて演奏や楽曲が格段に飛躍しています。特にギターの音質がより進化していますが、この変化にはどの様な経緯があったのでしょうか?

ギターの音質の変化は・・・大学進学が決まって一番最初に買ったYAMAHAのギターの音質に不満を持っていた時に、たまたまマーちゃん が「小久保君、ギター売ってあげるよ」と嬉しい声をかけて下さり・・・ もちろん二つ返事で  (笑)。
濃紺のボディーにEMGのピックアップを搭載したフェルナンデスのジャクソンVでした。幾らで譲ってもらったかは覚えてないけど、当時憧れだったマーちゃんのギターを自分が弾ける!と想像しただけで舞い上がってましたね (笑)。

実際に音を出してみたら・・・ 今までと全然違って「太く」て「シャープ」な音が出て、期待以上でした。エフェクターはマクソンのオーバードライブにBOSSのイコライザーのみ。チューニングは1音若しくは1音半下げ・・・ これでほぼフロリダっぽい音が出せました (爆)
そんなギターになっちゃったものだから、当然毎日弾く訳で、どうしようもないポンコツ演奏から普通のポンコツ演奏に進化 (?) しましたね (笑)。
曲の展開も、勢いだけじゃなくてちゃんと考えるようになり、ピッキングのやり方も変えたりして、とにかく試行錯誤を繰り返してました。その結果が「変化」なのかと・・・。

これは後々の話ですが、このMESSIAH DEATHを語る時には絶対に外せないマーちゃんから譲り受けたギターは、MULTIPLEXのギターだった昇さんに引き継がれます (笑)。と言う事で、マーちゃんには改めて感謝の言葉を伝えたいですね (笑)。

NS : 1stと同じ曲が2曲収録 (Necrorite, Gore of the crucifix) されていますが、何故でしょうか?

JK : ギターがグレードアップされて音が良くなったり、弾き方も変えてザクザクと刻めるようになったり、それに加えてドラムの中川さんも色んな小技を使えるようになったりして、そうなると既存の曲のアレンジもしてみたくなり・・・
そこで、MESSIAH DEATHとして一番最初に作った曲 ”Necrorite”と、当時僕が一番気に入っていた ”Gore Of The Crucifix”をフレーズをいじってアレンジして再録する事にしました。
それと、2ndデモは発売することを念頭に置いていたので、初めて手にする人はPromo Onlyだった1stは聴いていないだろうとの想像に基づいて・・・。

NS : 2ndデモをリリースした時の反応は、1stと比べてどの様なものでしたか?

1stでちょこっと名前が出てたと言う事、より多くのFanzineにデモを送った事、また、正式に発売した事もあって、反応は1stとは比べ物にならない程良く、色んなところで取り上げてもらいました。
インタヴューも何本も受けましたしね。どの位売れたかは全く覚えてないんですが、数百本と言う単位じゃないでしょうか。ただ、テープ代と送料を考えると全体として収支はマイナス (笑)。これも色んなところでコピーされまくったみたいです (笑)。


NS : 3rdデモ “INVOCATED UNHOLY SOULS” でMESSIAH DEATHの目指したサウンドが完成したと言えますが、このデモをリリースした際、海外からアルバム契約等のオファーは無かったのでしょうか?

JK :「完成系」と言っていただいて嬉しいです!
確かに、ほぼ理想通りの音に仕上がっていましたね。このデモを語る時には、2ndデモからヘルプで加入していただいたCRUCIFIXIONの森さん (ギター) の話は外せないですね。
森さんは久野君と共に間違いなく日本国内における真正Death Metalの始祖だと思います。彼の作曲センス、ギターの弾き方、フレーズ&リフ、音色、全てがオリジナルで純度100%のDeath Metalを奏でる稀有な存在だったと思います。
そんな森さんが作曲した “Transgressor”、この曲の存在が3rdデモを特別な物にしていたのは紛れもない事実ですね。(ピッキングハーモニクスを本格的にDeath Metalに持ち込んだのは実は森さんが一番最初なのではと思っています!)

ただ、やはりまだまだアルバム契約等と言うようなレベルでは全くなくて、自分達が出したい音をやりたいようにやっているレベルの話ですから、覚えている限りではそんな話は無かったと思います。
コンピやカップリング (EP) の話はよく頂きましたが・・・実現しなかったですね。
もうちょっと続けていても・・・・・やっぱり無理だったと思いますよ (笑)。

NS : 3本のデモを製作、販売していた中で、日本よりも海外での評判が高かったと思います。国内での反応はどの様なものでしたか?

2本目 & 3本目は国内外でも販売しましたが、店頭ではなくて全て通販です。
国内でも北海道から九州までマニアの方々が購入して下さいましたが、海外と比べると圧倒的に少なかったですね。国内のFanzineのインタヴューも数本受けましたが、それによってダイレクトな反応があったかと言うと、もの凄くコアな方々を除いてはほぼ無かったと思います。
日本でのDeath Metalの知名度は徐々に上がってきていたとは言え、まだまだ異端の音楽扱いでしたから、当然の反応と言えば当然ですよね。
けど、そこで落ち込んだり、不貞腐れたりと言う事は一切無かったです (笑)


NS : デモ以外の音源ですが、『KISS MY ASS』(注1)と云うコンピレーションカセットに、数々のハードコアバンドと共にMESSIAH DEATHも収録されていますが、ここに収録されるに到る経緯を教えて下さい。
(注1) ハードコアバンド、DONDONの吉川氏がリリースし、他に臨終懺悔、DONDON、ASBESTOS、MACROFARGE、SIC、MINK OIL、JUNTESS等を収録していた。

JK : 正直言って全く記憶にありません  (笑)。そのコンピカセット欲しいくらい (笑)!
ただ、記憶を辿ってみると、DON DONの吉川氏とは僕がMOSQUITOと言うHardcoreバンドのドラマーのヘルプをした時に知り合って、その関係でLiveを観に行ったり共演したりしてたので、そこで話を頂いたのかな・・・ SIC やMINK OIL のLiveにもよく行ってましたし。
臨終懺悔はナラサキ君やカンノ君と知り合いだったので、そんな話になった事は十分に想像できますね。
実は、Death Metalの世界だけじゃなくて、Hardcoreの世界にもドップリと浸かっていたので、色んな所に顔を出させて頂いていた結果なのかもしれません (笑)

NS : この音源にはGore of the crucifixが収録されていましたが、このテイクは2ndデモと同様の音源でしょうか?

JK : 前述の通り、その存在すら忘れていましたので、どのテイクか判りません(汗)・・・。
ごめんなさい!


NS : これにはTERRIBLE(注2) と共に日本のデスメタルバンドがハードコアのコンピレーション音源に収録された記念すべきリリースだったと思いますが、パンクスからの反応はありましたか?
(注2) 80年代後半に東京、神奈川にて活動をしていたトリオ編成のデスメタルバンド。初期SODOM、KREATORタイプのサウンド。ドラマーは後にME♀SSに加入。

JK : TERRIBLE ! 懐かしいです! 
エイジさんは当時高田馬場に住んでいたので、何回か自宅に遊びに行った事あります (笑)。
Hardcore界隈からの反応は・・・全く記憶にないと言う事は無かったんじゃないですかね?! そもそもコンピに収録された事すら忘れている位ですから (笑)。

NS : CDのインナーには唯一のライヴを敢行した際のフライヤーを掲載させて頂きましたが、対バンはハードコアバンドが多かったのが興味深いです。
小久保さんはハードコアパンクからの影響は大きかったのでしょうか?

JK : Hard coreのMESSIAH DEATHへの音楽的な影響は皆無ですが、歌詞的には相当影響を受けていました。
元々、MetalもHardcoreも分け隔てなく掲載するFanzineをやっていた経緯もありますし、HardcoreのLiveにもよく行ったり音源を買い漁ってたりもしていましたし、その頃イギリスで芽吹いていたFastcoreやGrindcoreのバンドなんかとも同世代だったから、自然と仲良くなってTape Tradingしたりしてやり取りしていたので (HERESYやNAPALM DEATH, UNSEEN TERROR, E.N.T., CONCRETE SOXなどなど) 知らず知らずの内にその姿勢とか歌詞に傾倒していったと言う・・・。
 今もそうですが、「長い物に巻かれると言う発想が大嫌い」な性格なので、自然とHardcoreの歌詞に反応しちゃうんですよね (笑) 。「救世主の死」なんて言うバンド名ですし (笑)。モロでしょ (笑)。

Liveの対バンに関しては、個人的に大ファンだったROSE ROSEのHiroさんに声を掛けて頂いて実現したものです。国内HardcoreではそのROSE ROSEとS.O.B., OUTO, DEATHSIDE, SYSTEMATIC DEATHなんかが大好きで、少なからず影響を受けていました。

NS : このライヴ以外、MESSIAH DEATHがライヴを行わなかったのは何故でしょうか?

今となっては理由すら思い出せませんが、当時は僕もFanzineにバンドにバイトに授業に忙しかったし、ドラムの中川さんに至っては医大生だった為、僕より更に輪をかけて忙しかったし、他にも色んな問題を抱えてたりしたので、一言で言えば「余裕がなかった」んだと思います。
 そうですね、Liveをもっとやりたかったと言うのが本音であり、後悔している部分ですね・・・

NS : 小久保さんを含め、インナーに映っておられる元メンバーの方々は、現在様々な方面で活躍をされておられると思います。皆さんは音源の再発について、意見や感想等を述べていましたらお教え下さい。

皆一様に大歓迎でしたね!!
そして更に嬉しい事に、CD発売と共に懐かしい昔の仲間に再会したり、再度連絡が取れるようになったりして、繋がりが出来ました! 演っている渦中にいる時は意識した事は無かったんですが、今改めて聴き直してみると、色んな意味でヤバくて元メンバーの皆もその辺りを再認識したみたいで (笑)


NS : インナーに掲載したメンバー写真が初期衝動に溢れていて最高です。
この時期はライヴハウス等でPOSSESSEDのTシャツを着ていたら羨望の眼差しで見られた時代でした。MEGADETHのTシャツでさえ入手が困難でしたが、これらはどの様に入手されたのでしょうか?

JK : これも前に述べましたが、ほとんど全て仲間内で自作!
ある時は久野君のアイデア (POSSESSEDはまさにそう)、ある時はマーちゃんのアイデア (CRUMBSUCKERS) などなど・・・ D.R.I.やMISFITS、Deathrash Mayhem zineのTシャツやパーカーを作ってましたよ。もう80年代の中頃は入手困難な物は全て自作(爆)。
その後、Fanzineを主催するようになってからは、メンバーから直で譲ってもらえるようになりましたが・・・ いや~今考えると完全にブート (けど、完成度はオリジナルを凌駕していました!) なんでヤバイ・・・ (汗)

NS : インナーに映る大熊さんのNECROPHILEやMULTIPLEXの音源が再発され、NECROPHILEはライヴ活動を再開しましたが、彼等の活躍は刺激になりますか?

刺激と言うよりも単純に「嬉しい」ですね。
いい意味でも悪い意味でも彼らに影響を与えられたのかな?なんて思ったりして (笑)。演奏力なんかは僕等とは比べ物にならない位上ですし、尊敬する後輩達と言った方がいいかもしれません。

NS : 彼等の様に音源の再発をきっかけとして、MESSIAH DEATHの再結成プランはお考えでしょうか?

JK : 残念ながら99%あり得ませんね・・・。森さんと再会出来れば話は別ですが・・・。
森さんが欠けては完成系のMESSIAH DEATHは成り立ちませんから。
いやいや、その前にもうウン十年もギターに触っていない僕が、ギターを弾ける訳ないし (爆)。デスヴォイスも出せないし (爆)

NS : 最後に、このインタビューを読んでいる皆さん、音源を聴いてくれた人達にメッセージがあればお願いします。 

JK : 最終的には「人」と「ご縁」ですね。 もうこれに尽きます。
MESSIAH DEATHに関わった全ての人達に感謝しています。
全員の名前を挙げていると、多分とんでもなく膨大な数になると思うので割愛させて頂きますが、本当に心から感謝していますし、皆をレスペクトしています。
本当にありがとう!!

NS : ありがとうございました。


このMESSIAH DEATHのデモ音源を収録した “The Way of Immortal: Complete Collection of Messiah Death” CDは日本のCaptured Recordsからリリースされている。
このインタビューを読んで興味を持ったデスメタルヘッドはぜひCDも購入してくれ! 
それがバンドとレーベルへのリスペクトとサポートに一番繫がる!

Interview with MESSIAH DEATH - Jun Kokubo Dec 2013 pt 1


日本の最初期デスメタルバンドの1つであるMESSIAH DEATHのコレクションアルバムが Captured Records からリリースされた。同レーベルは名古屋の最初期デスメタルバンドの1つと言われるDEATHPEED の音源もリリース。これまでほとんど語られる事がなかった日本のデスメタルシーンの黎明期を解き明かす上でも重要な音源なのは間違いないだろう。
CDに付属されているライナーでも当時のシーンなどが解説されているが kultivation ではさらにMESSIAH DEATHの深淵に触れるべくオリジナルメンバーでバンド創始者のJun Kokubo氏 (※JK) にインタビューした!!  

インタビューアー Noboru Sakuma (Captured Records) ※NS

NS : 今回は宜しくお願い致します。今年、念願とも云うべきMESSIAH DEATHのCDをリリースさせて頂きました。御蔭様で国内外より非常に強い手ごたえを感じており、非常に嬉しく思います。
音源を再発してから、小久保さんへの反応はありますか?

JK : この度は本当にありがとうございます! 
企画から実現までに相当時間がかかってしまいましたが、それもタイミングと言う事で、今は関わった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです! 
今は現役でバンドをやっていたり、シーンに深く関わっている訳ではないので、新たな反応をダイレクトに受ける事は実際にはないですが、気になってTwitterだのをチェックしてみると意外や意外、結構若い世代の方も反応されていたりして、非常に嬉しいですね (笑)
後は、昔からの友人達が皆フォローしてくれたと言うのが本当に嬉しいです。
やはり最後は「人の繋がり」だなぁと強く思います。
改めて皆に感謝&感謝です! 


NS : では、今回は音源やインナーでは表現しきれなった、まだまだ奥深く濃厚だと思われます、バンドの歴史をこのインタビューで解き明かして行こうと思います。最初にMESSIAH DEATHを結成した経緯をお願いします。

JK : 元々、MESSIAH DEATHの結成前に、高校の同級生や先輩&後輩達と「CRIMINAL CHRIST」と言うモロにHELLHAMMERやら初期SODOMのような感じのバンドを結成して、デモを出したのが1986年8月。これが全ての原点ですかね。

この時からドラムは1年上の先輩の中川さん、そしてベースは最近復活を果たしたNECROPHILE/MULTIPLEXの大熊君 (彼は3年下だったんで、まだ中学生!!) と言う、その後の流れに繋がるような面子で (笑) ちなみに僕は楽器はできなかったので、ヴォーカルにて・・・。

まだ高校生のガキと言う事もあり、お遊びに毛が生えたようなレベルだったんですが、デモのカバーアートを当時UNITEDのギターだったマーちゃんが手掛けてくれたり、海外に音源を送ってみたら「え?日本から??」みたいな感じで好意的に受け止められて、ちょびっとだけ喜びを感じたりして・・・
でも音の感じや楽曲には全然満足していなくて、この頃は狂ったように世界中の地下音源を聴きまくっていた事もあって、何とかそんな音をこの日本で再現できないかな? と思っていました。

丁度1987年に大学進学が決まった事もあり、「曲を作りたいんだったらギターやるしかないな!」と思って、御茶ノ水のイシバシだったかイケベだったかに走って、YAMAHAの安いギターを買い込んできて・・・楽譜&タブ譜もチンプンカンプンなので、友人や先輩に教えてもらったり、見よう見まねでギターを始め・・・
あれ?何だか曲作れるんじゃね? と言う最大限の勘違い (爆) と共に、その年の6月に「MESSIAH DEATH」としてバンド再稼働!

バンド名を変えたのは、「CRIMINAL CHRIST」だと海外では変な勘違い (アンチクライストだとか・・・) をされるのではないかと言う懸念と、語感もイマイチだった事、それとバンド名に意味を持たせたかった事、その3つの理由から。
「MESSIAH DEATH」の意味は「この世には救世主なんていないんだよ」と言うメッセージを込めて。
この頃から捻くれてますね (笑)。ロゴを考えたのもフリーハンドで描いたのも僕です (笑)
メンバーは、ドラムにCRIMINAL CHRIST時代から一緒の中川さん、ギター&ヴォーカルが僕、もう1人のギターが後にも出てきますが、今でも大親友の杉下君、ベースは当時は見つからず・・・ 
バンドの方向性は、自分達の考えるところの Death Metal をここ日本から世界に発信する事。大体、ギターを始めてから僅か半年で、こんな壮大かつ馬鹿げた目標を持つ事自体がバカ丸出しなんですけど、当時は結構本気でした (笑)  
それとやはり、1986年に発売されたSEPLUTRAの”Morbid Visions”の衝撃の凄さかなぁ。あの単音リフの波状攻撃!これを当時日本で演ってるバンドは皆無でした (笑) これをやりたかった!
以上が最初期のMESSIAH DEATHのストーリーです。



NS : 当時はフロリダを中心に、世界中にてデスメタルバンドが発生し始めた最中でしたが、日本では殆ど認知をされていなかったデスメタルと云う特異な音楽をプレイしようと思ったのは何故でしょうか?

JK : 同時進行で「Deathrash Mayhem」と言うFanzineも始めていたんで、とにかく世界中の地下音源をテープトレーディングで聴きまくってました。そんな中で間違いなくダントツで邪悪で恰好よく、速くて重かったのが Death Metal と言うジャンル。もちろん普通のThrashやCrossoverも好きだったけど、自分のバンドで表現したい音はDeath Metalだって、これっぽっちの迷いも無かったですね (笑)それと、今後この流れがスタンダードになって、世界中に根を広げていく予感がありました。
周りを見渡してみると、CRUCIFIXION以外には本格的なDeath Metalをやっているバンドがなかったんで、じゃ自分達も自分たちなりの解釈でワールドスタンダードになっていくであろうDeath Metalをここ日本でやるぞ!と言う気持ちで。

NS : バンドを結成した際、影響を受けたバンドを幾つか挙げて下さい。

JK : 色々ありますが、初期のSEPULTURA, POSSESSED, MASSACRE(FL), MASTER,初期のDEATHこの辺りの影響が一番大きいと思います。
重さの部分では、HELLHAMMERやTROUBLEかなぁ・・・。

NS : 同時期、CRUCIFIXIONやNECROPHILE同様、日本でもBELETH、DEATHPEED等と少数ながらもデスメタルバンドが存在していましたが、彼等とは交流があったのでしょうか?

JK : もちろん日本中の地下音楽シーンとはダイレクトに繋がっていましたよ!
それはDeathrash Mayhem zineを主宰していたと言う理由もありますが、とにかく貪欲に「新しい流れ」を掴みたい & 広げたいと思っていたので、自然と (笑)。
BELETHの小川さんやDEATHPEEDの小松さんとは、最初期からやり取りをしていましたし、影響も少なからず受けていたと思います。特に小松さんには本当にお世話になりました (笑)。


インタビューにも出てきた大学進学決定と共に買ったYAMAHAのギターと共に。1987@Studio Penta

僕の音楽人生&文化的趣味に多大な影響を及ぼした元UNITEDのギター、マーちゃんと。 1987@Loft Shijyuku


NS : 小久保さんやMESSIAH DEATHに多大な影響を与えたと思われます、久野さんとの出会いとなったきっかけや、当時の思い出等ありましたらお教え下さい。

JK : この前も久野君がこっちに仕事で来ていた際に会って話をしたんだけど、最初の出会いは恐らく1985年頃じゃなかったかな。
西新宿にあったレコード屋「UK EDISON」を出たところで、いきなり怪しいTシャツを着た少年 (笑) に声をかけられ、それが久野君だったと言う (笑)。

当時僕が通っていた高校では、国内外のアングラなThrash Metalを愛好する連中がけっこう居て (感染源はほとんどが僕なんだけど~笑)、その連中とマーちゃん (元UNITEDのギター) やライヴハウスで友達になった友人なんかと、勝手にブートTシャツを色々作ってたんですよね。
一番最初はANTHRAXの"Fistful Of Metal"のジャケパクTシャツから始まってそれこそ色々 (笑)。
多分その内の1枚を着てて、そこに久野君が反応して声を掛けてきたんだと思う (笑)。当時は何だか見た事のないTシャツ着ている人がいると、すぐに声を掛けてたからね (笑)。

それで、会ってからすぐに僕の友人の家にいっしょに行ったらしい (この事は久野君から聞きました)
そこで、久野君の話す驚愕の地下音楽シーンの話題に、友人を含め即効ノックアウトされたと・・・
彼は当時はまだ中学生。それなのに、既に海外のアンダーグラウンドシーンとコンタクトをとっていて BATHORYのLPのThanx Listに名前が載っていたり、NECROPHAGIAのKilljoyと友人だったり、と恐ろしいコネクションに加え、当時はまだ聴いた事もなかった音源 (DEATHやMASTERなどなど)をカセットテープで色々聴かせてくれた・・・・。
もう衝撃を通り越して何だか別の次元にいきなり飛ばされたと言うような感覚でしたね (笑)。
それからは頻繁にコンタクトをとって、それがバンドの結成だったり、当時作っていたミニコミをFanzineへと昇華させる重要なキッカケとなった事は間違いない  (笑)。
今でも彼を最大限レスペクトしています。

Part 2 へ続く...